杉原千畝出生地の教泉寺(美濃)
杉原千畝の生誕地の案内板の設置のお願いに岐阜県、美濃市(旧上有知町)の教泉寺に行きました。
千畝の手記の「八百津町で生まれた」と改竄された訂正箇所には、ちゃんと「上有知町(今の美濃市)の仏教寺の刈間の税務官吏の家に生まれた」と書かれています。
戸籍の出生欄の記載の住所も美濃市の教泉寺と一致し、教泉寺の隣町には千畝町の地名もあります。

教泉寺は少し高台にあって、当時は千畝町も一望できたと思われる。千畝の名前の由来は千畝町の千畝です。

教泉寺にきて、千畝は教泉寺に生まれて慈悲の心をもったのかと、そんな想像も…
今回の教泉寺への訪問で住職様からも 生誕地案内板 の設置に前向きな返事がいただけたように思いました。
自治体や地方議員には様々なしがらみがあるようですが、市民で段取りできるところは市民で進めて、杉原千畝の功績と精神が、正しい歴史で世界と後世に引き継がれるようにしていきます。

徹底追及第6弾


この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。

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四男伸生さんは岸田文雄外務大臣と

杉原千畝の四男杉原伸生さんは8日、岸田文雄外務大臣とお会いになって、偽造の疑いのある手記についてもお話をされたそうです。
はやくこの問題が解決して、千畝の功績と精神が、正しい歴史で世界に広められ、次世代に語り継がれるようになることを望みます。