岐阜県美濃市のうだつの上がる町並み 旧美濃町で見つけた100年以上の歴史を持つ美濃和紙の商家

岐阜県美濃市にある重要伝統的建造物群保存地区に指定されているうだつの上がる町並み 旧美濃町は、江戸時代から明治にかけて栄えた美濃和紙の商家が建ち並ぶ歴史的な街並みです。この町並みを訪ねた際の感想や見どころを紹介します。また、この町並みが生まれ故郷であることで知られる外交官・杉原千畝とどのような関係があるのかも探ってみます。

うだつの上がる町並み 旧美濃町 を案内してもらう

岐阜県美濃市にある重要伝統的建造物群保存地区に指定されている うだつの上がる町並み 旧美濃町(上有知町)にある 旧今井家住宅

江戸時代から明治にかけて栄えた美濃和紙の商家です。平成27年10月には皇太子殿下がご訪問されたところでもあります。

旧今井家住宅は、江戸時代から明治にかけて栄えた美濃和紙の商家です。平成27年10月には皇太子殿下がご訪問されたところでもあります。那須弘司さんに解説をしてもらいながら回りました。

杉原千畝とは

杉原千畝とは、第二次世界大戦中にリトアニアで日本領事館領事代理として赴任していた外交官です。彼は、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けしました。これは外務省からの訓令に反して行われた行為であり、彼はその後外務省から辞職勧告を受けました。しかし、彼は自分がしたことは当然のことだと言っており、その正義感や勇気には敬服せざるを得ません。彼は1900年に岐阜県美濃市のうだつの上がる町並み 旧美濃町で生まれました。この町並みは、彼の人生にどのような影響を与えたのでしょうか。

杉原千畝は、この町で誕生しました。彼は父親から医者になることを望まれていましたが、自分の夢を追って外交官になりました。彼はハルビンやカウナスなどで多くの人々と交流し、その中でユダヤ人の苦しみを知りました。彼は自分の良心に従ってビザを発給しましたが、そのことで外務省から非難されました。彼はその後も様々な困難に直面しましたが、決して後悔しなかったと言います。

那須弘司さんに解説をしてもらいながら回りました。

うだつの上がる町並み

この建物は、うだつと呼ばれる小柱や防火壁、装飾が特徴的な日本家屋です。うだつとは、火災から隣家を守るために屋根に取り付けられたもので、豊かさや格式の象徴でもあります。この建物は、江戸時代後期に建てられたもので、当時の商家の暮らしや文化を今に伝えています。

うだつ

うだつとは?

うだつとは、日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾。本来は梲と書き、室町以降は卯建・宇立などの字が当てられた。

旧今井家住宅

ひな人形 2017年2月8日
旧美濃町 を案内してもらう 2017年2月8日
旧美濃町 を案内してもらう 2017年2月8日
旧美濃町 を案内してもらう  2017年2月8日

まとめ

杉原千畝が生まれた明治33年当時の風情が今も町としてそのまま残っていて、大変興味深かったです。

岐阜県美濃市のうだつの上がる町並み 旧美濃町は、日本古来の建築や文化を今に伝える貴重な場所です。外交官・杉原千畝もこの町で育ち、その後多くの人々の命を救ったことで知られています。彼は自分がしたことは当然のことだと言っていましたが、私は彼の正義感や勇気に深く感動しました。皆さんもぜひ一度この町並みを訪れて、その魅力や歴史を感じてみてください。

参考

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