時を超える美の対話:岡倉天心と六角堂の遺産

6月13日に フィンランドセンター The Finnish Institute in Japan により開催された「山荘に関するセミナー」に参加しました。そこでは、シベリウスの愛する妻アイノが過ごしたアイノラ、息をのむ美しさの三渓園、そして歴史を感じさせる六角堂について学びました。

🇫🇮アイノラ
アイノラは、フィンランドの国民的作曲家ジャン・シベリウスと彼の妻アイノが1904年から1969年まで住んだ邸宅です。この家は、ヘルシンキから北に38km離れたヤルヴェンパーのトゥースラ湖のほとりに位置し、ラルス・ソンクの設計によるものです。シベリウスは音楽創作に集中できる静かな環境を求めてこの場所を選び、自然に囲まれた生活を選んだため、生前は敢えて水道を引かずに暮らしました。アイノラは、シベリウス一家だけでなく、多くの芸術家たちが訪れ、創造的な交流が行われた場所でもあります。

🇯🇵三渓園
三渓園は、神奈川県横浜市にある庭園で、17.5haの敷地に17棟の日本建築が配置されています。この庭園は、実業家で茶人の原富太郎によって1906年に造園されました。原富太郎は、生糸貿易で財を成した後、文化の保護や振興に尽力し、三渓園を一般に公開しました。庭園内には、京都など他都市から移築した古建築があり、庭園との調和を考慮した配置になっています。

🇯🇵茨城県の六角堂:
茨城県北茨城市にある六角堂は、日本の美術家であり、思想家の岡倉天心(岡倉覚三)が設計しました。この建物は、1906年(明治39年)に建てられ、天心が夏を過ごし、国際的な活動の拠点として使用していました。六角堂は、岩がそびえる五浦海岸の崖の上に位置し、太平洋に面して建っています。天心は、この地を気に入り、二年後には六角堂を建て、冬はボストン美術館勤務、夏は五浦の海で過ごしました。日本美術院をこの地に移し、菱田春草、下村観山、木村武山などの芸術家たちと共に制作に励み、近代美術史に輝かしい一ページを刻んだのです。

この六角堂は、中国の詩人杜甫の草堂である六角亭子の構造を取り入れ、朱塗りの外壁や屋根の上の如意宝珠は仏堂の装いをしており、内部には床の間と炉を備えた茶室としての役割も持っています。つまり、中国、インド、日本といったアジアの伝統思想が、ひとつの建物全体で表現されているのです。東日本大震災の津波により流失した後、多くの方々の寄付金によって、創建当初の姿で再建されました。

このように、六角堂は岡倉天心の思想と美術に対する情熱が込められた、非常に意義深い場所です。彼の「アジアは一つである」という考えが、この建物を通じて今も伝えられています。また、六角堂は茨城大学が管理しており、文化財としても重要な価値を持っています³。

これらの建物は、それぞれ独自の歴史的背景と文化的価値を持ち、多くの人々に影響を与え、今日に至るまで大切にされています。

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