幕末のまち伏見
寺田屋は三十石船に乗る人々が 利用した船宿で、宿のすぐ目の前にある 寺田屋浜は大坂八軒家(現・天満橋付近) まで舟運で結ばれていました。 幕末の慶応2年(1866)、薩摩藩の 定宿でもあった寺田屋にいた坂本龍馬を 伏見奉行所配下の捕り方が襲撃しました。 龍馬を暗殺しようと狙っていたと言われています。 深い傷を負いながらも、命からがら逃げた龍馬は、 傷を癒すために表となったお龍をともない
三十石船に乗って、薩摩の霧島へと淀川を下っていったのでした。 これが日本で最初の新婚旅行だといわれています。
「かつて「伏水」と書かれた伏見は、古来から良質の水が豊富に湧き出る地。 その水から造られる酒は、まろやかで日当たりがよいとされてきました。 天下を統一した豊臣秀吉は、この地に伏見城を築城
全国から集められた大勢の大工や職人の数と比例するように、消費される酒と酒蔵は増加しました。
江戸時代前期には、伏見の酒造業者数は八十三一万五千石金の醸造量を誇り、 国内有数の産地として栄えます。
いまで