水銀に関する水俣条約のジェンダーの側面に関するE-learning修了 8月16日は条約発効から5周年

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「水銀に関する水俣条約 のジェンダー の側面」に関するE-learning

「水銀に関する水俣条約 のジェンダー の側面」に関するE-learning を修了しました。

水銀に関する水俣条約のジェンダーの側面に関するE-learning 修了

8月16日 水銀に関する水俣条約 発効から5周年

8月16日は水銀に関する水俣条約発効から5周年です。

水銀に関する水俣条約のジェンダーの側面に関するE-learning修了 8月16日は条約発効から5周年

終了証

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Taira Sakakibara 榊原平 水銀に関する水俣条約のジェンダーの側面に関するE-learning 修了

水銀に関する水俣条約とは

 水銀に関する水俣条約(すいぎんにかんするみなまたじょうやく、the Minamata Convention on Mercury)は、水銀および水銀を使用した製品の製造と輸出入を規制する国際条約。
 地球規模の水銀および水銀化合物による汚染や、それによって引き起こされる健康、および環境被害を防ぐため、国際的に水銀を管理することを目指すものである。
 2013年からは日本国政府が主導して、発展途上国で水俣病のような水銀による健康被害や環境汚染が起きていることから、悪化を防ぐために一定量以上の水銀を使った製品の取り引きなどを国際的に規制する目的で採択させた条約。
 2013年1月19日にジュネーブで開かれた国際連合環境計画(UNEP)の政府間交渉委員会にて、名称を「水銀に関する水俣条約」とすることを日本政府の代表が提案し、全会一致で名称案を可決した。
 条約は熊本県で2013年10月7-8日の準備会合を経て、2013年10月10日に採択され、92ヶ国(含むEU)が条約への署名をおこなった。
 発効は50か国が批准してから90日後とされており、2017年5月18日に発効の要件の50以上の国で締結されたため、同年8月16日に発効した。

経緯

  • 2010年6月7日-11日:第1回会合(INC1)が、ストックホルムで開催
  • 2011年1月24日-28日:第2回会合(INC2)が、千葉で開催
  • 2011年10月24日-11月4日:第3回会合(INC3)が、ナイロビで開催
  • 2012年6月27日-7月2日:第4回会合(INC4)が、プンタ・デル・エステで開催
  • 2013年1月13日-19日:第5回会合(INC5)が、ジュネーブで開催
  • 2013年10月9日-11日:全権代表外交会合が、熊本県水俣市及び熊本市で開催(9日:開会式典及び公害現地視察(水俣市)、10・11日:外交会議(熊本市)

水俣病とは?

水俣病(みなまたびょう)とは、熊本県水俣湾周辺の化学工場などから海や河川に排出されたメチル水銀化合物(有機水銀)により汚染された海産物を住民が長期に渡り日常的に食べたことで水銀中毒が集団発生した公害病である。
 第二次大戦後の日本における高度経済成長期の負の側面である四大公害病の一つである。「公害の原点」ともいわれ[3][4]、工業災害における犠牲者の多さでも知られる[注 1]。また、水俣病と全く同じ原因そして同じ症状の患者が新潟県阿賀野川流域でも集団発生した(第二水俣病)。
1956年(昭和31年)5月1日、熊本県水俣市の新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場附属病院長の細川一が水俣保健所に患者の発生を報告し、公式に確認された。1958年(昭和33年)頃から「水俣病」の名称が使われ始め、1968年(昭和43年)9月26日、厚生省は、水俣病の原因物質をチッソ水俣工場の廃液に含まれたメチル水銀化合物であると認定した。
1997年(平成9年)7月29日、熊本県知事が水俣湾の安全宣言を行い、同年10月から漁が再開された

参考

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