2019年の1月1日は杉原千畝119回目の誕生日
1月1日は杉原千畝の誕生日 2019年の1月1日は119回目の誕生日HappyBirthday 杉原千畝!

数千人のユダヤ難民を救った杉原千畝 は、1900年1月1日 岐阜県の上有知町(現在の美濃市)の税務署の隣の杉原一家が暮らしていた仏教寺の 教泉寺 の借り間で生まれました。同寺は高台にあって見晴らしが良く、眼下に(字) 千畝(現在の 千畝町)の広大な畑が見えました。
榊原平 個人の活動やその家族や周辺で活動する人々について紹介するサイトです
1月1日は杉原千畝の誕生日 2019年の1月1日は119回目の誕生日HappyBirthday 杉原千畝!
数千人のユダヤ難民を救った杉原千畝 は、1900年1月1日 岐阜県の上有知町(現在の美濃市)の税務署の隣の杉原一家が暮らしていた仏教寺の 教泉寺 の借り間で生まれました。同寺は高台にあって見晴らしが良く、眼下に(字) 千畝(現在の 千畝町)の広大な畑が見えました。
杉原千畝”偽物”手記 2点取り下げ
『杉原千畝 の世界記憶遺産登録の申請の八百津町が 杉原千畝手記の偽物であるとの疑義があった 手記2点を取り下げ』杉原千畝のユネスコの世界記憶遺産の登録申請において生誕地と手記2年の改竄疑惑の上がっていた岐阜県の八百津町ですが、先日の申請書での「birth place:生誕地」から「hometown:出身地」への書き換えに続いて、「偽物」の疑いのある「手記2点」についてもユネスコへの申請から取り下げたとのことです。
CBCテレビ報道部の原誠さんが、八百津町役場前から生中継で実況をされました。
これまでの八百津町による世界記憶遺産の申請は、日本は歴史を改竄する国であるとして国際社会から信用を失いかねない大きな懸念がありました。
手記2点が取り下げられたことで、そうした懸念がひとまず取り除かれました\(^o^)/
【杉原千畝の出生地問題】杉原千畝が生まれた岐阜県の美濃市の教泉寺にそれを示す 千畝の生誕地案内板 を 市民みずから建てようとする動きが2017年2月14日始まりました。
今日も大勢の美濃市民も参加する中、マスコミの取材も入って「杉原千畝さんから学ぶ会」がおこなわれました。
私もパワーポイントを使って千畝が仏教寺の刈間で生まれたと手記に書き記していることやそれが戸籍の出生の記述とも一致すること、千畝という地名が他に全国どこにも存在しないこと、八百津町がユネスコの世界記憶遺産の登録申請から偽物の疑いの手記2点を取り下げたことなど説明をさせていただきました。
真実の史実どおり千畝の功績が世界と子供達に引き継がれるよう、私も愛知から応援していこうと思います。
杉原千畝の生誕地の案内板の設置のお願いに岐阜県、美濃市(旧上有知町)の教泉寺に行きました。
千畝の手記の「八百津町で生まれた」と改竄された訂正箇所には、ちゃんと「上有知町(今の美濃市)の仏教寺の刈間の税務官吏の家に生まれた」と書かれています。
戸籍の出生欄の記載の住所も美濃市の教泉寺と一致し、教泉寺の隣町には千畝町の地名もあります。
教泉寺は少し高台にあって、当時は千畝町も一望できたと思われる。千畝の名前の由来は千畝町の千畝です。
教泉寺にきて、千畝は教泉寺に生まれて慈悲の心をもったのかと、そんな想像も…
今回の教泉寺への訪問で住職様からも 生誕地案内板 の設置に前向きな返事がいただけたように思いました。
自治体や地方議員には様々なしがらみがあるようですが、市民で段取りできるところは市民で進めて、杉原千畝の功績と精神が、正しい歴史で世界と後世に引き継がれるようにしていきます。
杉原千畝の四男杉原伸生さんは8日、岸田文雄外務大臣とお会いになって、偽造の疑いのある手記についてもお話をされたそうです。
はやくこの問題が解決して、千畝の功績と精神が、正しい歴史で世界に広められ、次世代に語り継がれるようになることを望みます。